丹場 展雄 早稲田大学先進理工学部・研究科出身者の社会での活躍を紹介しています。

株式会社 日立製作所
マイクロデバイス事業部
本部主管

丹場 展雄

Tamba Nobuo

略歴

1958年生まれ。1980年物理学科卒業後、筑波大学理工学研究科博士課程を修了。1982年、日立製作所デバイス開発センタに入社。設計部長、設計本部長、営業本部長を経て、2013年からマイクロデバイス事業部本部主管。1998年、博士(工学)取得。
物理学科で素粒子物理学を学ばれた丹場 展雄さん。コンピュータには多くの挑戦課題があると考え、日立製作所へ。入社後は一貫して情報通信システム向けLSI設計開発の道を歩まれ、設計部長、設計本部長、営業本部長を経て、現在は、マイクロデバイス事業部の本部主管(本部長職)として、LSI設計開発・製造販売、事業構造改革の責任者を務めていらっしゃいます。

本質を見抜き、世界初の技術を創り出してきた30年

Q

物理が好きで物理学科を選ばれたとのことですが、大学ではどのような研究に取り組まれたのでしょうか?

「ものごとの本質を知りたい」という好奇心から、特に素粒子物理学に興味をもつようになり、故・並木美喜雄先生の元で、「高エネルギーハドロン原子核散乱」の研究に取り組みました。一見複雑な現象を根気よく自分の頭で考えて、ときほぐしていく姿勢を学んだことは、今でもとても役立っています。また、素粒子という難解な分野をかじったことで、多少難しい概念や数式に出会っても、たじろがなくなりましたね。

学生当時から、実験で得られた結果を説明するためにコンピュータを駆使して理論計算を行っていました。当時は計算プログラムに「パンチカード」を使っており、その名の通り、紙に穴をあけて保存するため、1つでもプログラムミスをすると最初からつくりなおしです。「元に戻す」も「上書き」もない時代でした。処理速度も遅く、ひとつの計算を実行するのに数日かかることもあり、順番待ちの学生で大渋滞。思ったようにコンピュータを扱えないフラストレーションから、高性能のコンピュータを作ってやる、と思ったのが、就職先に電機メーカーを選んだきっかけですね。いくつかの会社見学に参加し、夏休みには日立製作所 高崎工場でのインターンシップにも参加した上で、「雰囲気が早稲田に似て、自分に合っているな」と感じたのが、日立製作所でした。どう合っているか、はうまく説明できないのですが(笑)。

Q

日立製作所に入社以来、一貫して情報通信システム向けLSIの研究開発と製品化に従事していらっしゃいますね。特に思い入れのある製品はありますか?

1982年の入社ですから、30年以上LSIに携わっていることになりますね。スケーリング則※1によってLSIが劇的に高集積化・高機能化していった時代です。トランジスタのゲート長は2マイクロメートル(μm)から28ナノメートル(nm)に、1センチ角のチップ上に搭載されるトランジスタ数は、10億個を超えるようになりました。私は材料や製造プロセスではなく、デバイス設計と回路設計(限られた半導体チップのスペース内に、所望の機能をトランジスタや配線、電極の配置でデザインすること)を専門としてきました。これまでに関わってきた開発はすべて、その時々における「世界初」の技術と製品を目指したものですから、すべて思い出深いです。

(用語解説)
※1スケーリング則:1974年にIBMのRobert H. Dennardらが発表した。微細化することで、集積度はもちろんのこと、トランジスタの動作速度、消費電力の性能が向上することを示した法則。たとえば、トランジスタの縦、横、高さをそれぞれ2分の1にし、電圧を2分の1にすれば、トランジスタの動作速度は2倍になり、消費電力は4分の1、集積度は4倍になる。

入社後最初の約10年間は、大型計算機(メインフレーム)向けに、バイポーラの高速性と CMOS の高集積性を併せ持つ、BiCMOS 技術とBiCMOSメモリ LSI を開発しました。ゲート長2~0.35μmの5世代にわたり、世界最高速・大容量メモリのLSIシリーズとなりました。上司の勧めもあり、このときの仕事をまとめて、博士号を取得しました。海外では博士号を持つエンジニアは医者・弁護士と並びリスペクトされる職業です。(最終的には本人の努力次第ですが)特に初対面での信頼度が高いため、仕事を進める上で重宝しています。

特に苦労した、という意味ではこの後の2000年頃に取り組んだDRAM混載キャッシュメモリの開発が印象に残っていますね。論理LSI上にDRAMを乗せる、という試みが初めてだったということもあり、当時、部長職として挑戦の連続でした。プロセスから設計、製造、品質保証までを含めてひとつのチームを組んで臨み、「このチャレンジャブルな製品をなんとか世に出したい、世間を驚かせたい」という思いで、日々続出する課題の究明と対策に取り組みました。また、この製品は米国企業との共同開発でしたので、英語力とグローバルセンスを磨くのに大変勉強になりました。苦労の甲斐あって、高速SRAM並みの動作周波数と汎用DRAM並みの容量をもった、世界最高性能のキャッシュメモリが完成しました。この製品は共同開発先と日立のサーバ全てに搭載されることとなり、現在も後継製品がパートナー会社によって製造販売されています。この時の経験が、私だけでなく、チームメンバーそれぞれの部署で活きている、という話を聞きます。当時のメンバーとたまに会うことがあると、今でもその当時のことが話題に上りますね。多くの人にとって(苦しくも)記憶に残る仕事になったことを、嬉しく思っています。

図 動作クロック周波数600MHzと大容量144Mbitを実現した「キャッシュDRAM LSI」(2000年)。左:LSIチップ写真、右上(水色囲み):DRAMメモリセルの電子顕微鏡写真、右下(赤色囲み):CMOS論理回路の断面電子顕微鏡写真

Q

現在はどのような業務を進めていらっしゃるのでしょうか。また、会社で働く上でどのような人材を望まれますか?

コンピュータやネットワークの分野では、製品付加価値のポイントが、ハードウェア(LSIなど)からソフトウェア、システムそして実際に社会で使われるためのソリューション(諸課題の解決法)やサービスへと大きく広がってきています。また、このような情報通信サービスやエレクトロニクスを支える半導体の世界的な市場規模は、ここ10年で1500億から3000億ドルへ、2倍に成長しています。一方で、開発・製造投資の増大などにより、業界再編も世界中で急速に進んでいます。このような状況下において、私たちはLSI設計手法の開発、グローバルな製造パートナーとのLSIサプライチェーン(商品が、消費者に届くまでの一連の工程)の構築、社内ユーザや社外顧客のシステムニーズに対応したLSI・半導体ソリューションの提供をめざしています。

ブロードバンド環境の普及に呼応して、流通するデータ通信量は指数関数的に増加しています。個人レベルにとどまらず、スマートシティに代表される安心・安全・快適な高度情報化社会の実現には、ネットワーク、サーバ、ストレージなど全ての情報処理要素において桁違いの大容量化が求められます。また、これに伴う消費電力増大の課題にも対応していく必要があります。コンピュータやネットワーク以外では例えば、電気自動車や超音波診断装置などの医療機器は、近年の技術的進歩により、中高耐圧の制御LSIへの需要が高まってきた分野です。スケーリング則によるシリコンデバイス微細化への物理的限界がみえていても、LSIへの要求には限界がありません。この状況を打破するために、スケーリング則を超えた新しい概念、新しい原理に基づくブレイクスルーが渇望されているのです。電子の電荷以外をLSI動作に用いる可能性としてのスピンや量子位相、光子(フォトニクスデバイス)の研究もそのひとつの試みであり、まさに、物理学に立ち戻るところまできているといえます。

このような時代だからこそ、自らエレクトロニクス産業を切り拓く夢、意欲をもった人材を欲しています。夢の実現に向けて自分で考え、果敢に行動するエンジニアが育つように支え、ともに挑戦していきたいと思っています。1日でも早く新たな基盤技術を確立することこそ、最大の社会貢献と考えています。

Q

最後に、早稲田の後輩へのメッセージをお願いします。

指導教授の並木先生に教わった「フロンティアを目指せ」を、送りたいと思います。企業では、ひとつの製品を世の中に送り出すために数年、研究段階から数えればさらに長い年月がかかります。学生時代より長いスパンで仕事をすることになりますが、その間往々にして、社会の情勢変化や会社の方針変更など、自分では制御できない変化に直面します。その変化に対して、個としての判断が求められますし、社会人として判断の結果に対して責任を持つ覚悟が必要です。判断に迷わず、結果を後悔しないために、自分は何を目指しているのか、という指針をもつことが大切だと思います。私の場合、この指針が「フロンティア」でした。

「進取の精神、学の独立」と校歌にもあるように、自由で力強い気質・気風が早稲田の良さだと思います。仕事上さまざまな方にお会いしますが、初対面で同じような空気を感じた方に出身大学を聞いてみると早稲田だった、という経験が何度となくあります。

大学創設の明治時代に謳われた精神ですが、まさに今、このグローバル化の時代に強く求められていることだと思います。ときには恐れ逡巡しながらも、フロンティアを目指してチャレンジしてもらいたいと思います。

Q

ありがとうございました。

聞き手・構成

武末出美(早稲田総研イニシアティブ)

※所属はインタビュー当時のものです。

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