岡山 純子 早稲田大学先進理工学部・研究科出身者の社会での活躍を紹介しています。

独立行政法人科学技術振興機構 イノベーション推進本部
研究開発戦略センター
エキスパート(研究開発戦略立案担当)

岡山 純子

Okayama Junko

略歴

1998年、大学院理工学研究科応用化学専攻 修士課程を修了後、同年、(株)日本総合研究所に入社。金融システム開発部門を経てコンサルティング部門において、特に、アジアにおける科学技術政策の動向調査に従事。2006年(独)科学技術振興機構中国総合研究センター立上げに参画したのち、現職。
環境問題の解決に貢献したいという思いを持って応用化学専攻修士課程で学ばれた岡山純子さん。日本総合研究所にてアジアにおける科学技術政策の動向調査に従事するチャンスを得て、現在はJSTの研究開発戦略センターで、日本における次世代のモノづくりについて、プロジェクトリーダーとして調査研究を進めていらっしゃいます。

科学技術政策の知見にもとづいて、日本のモノづくりを応援する

Q

なぜ応用化学科を選ばれたのでしょうか?

高校生の頃に湾岸戦争が起こりました。テレビに映し出された、ペルシア湾に流出した石油をオイルフェンスで回収している様子が、当時の私にはとても原始的に思えたのです。このような環境汚染の現場にもっと科学技術を役立てることができるのではないか、と思ったことが、応用系の学科に興味を持った理由です。化学が得意だったということもあり、最終的には応用化学を選びました。

とはいえ、学部3年生までは12大サークルのひとつである理工学部公式庭球部に所属してテニス漬けの毎日を過ごしていましたから、先生方からの覚えは悪かったかもしれません(笑)。4年生になり卒業研究を始めると同時にガラッと生活の中心をテニスから研究に替え、月曜から土曜日まで9時から17時をコアタイムとして打ち込みました。当初は学部を卒業したらすぐに就職しようと考えていましたが、指導教員だった黒田一幸先生や菅原義之先生、諸先輩方から研究を通して様々なことを教わるに従い、自分は明らかに社会に出る準備ができていない、ということを感じるようになりました。理工系がウリとする「論理的思考」が苦手でしたから、むしろそれを身に付けてから社会に出るべきだと思い直したのです。また実は、環境問題に貢献したいと意気込んで入学したものの、サークルの先輩や同級生などからは「化学はむしろ汚染する側ではないか」と言われ、応用化学で学んだことをどうしたら社会に活かせるのか、悩んでもいました。そのようなことも含めて黒田先生に進路の相談をした際に、「高い温度でセラミックスを焼くとエネルギーを使うし環境に良くないこともあるが、研究テーマであるゾルゲル法を使って省エネルギーで質の良いセラミックスを作る方法を考えることも環境に貢献していると考えられるのではないか」と、助言を頂いたこともあります。色々な角度から物事を見て発想を広げる意識をもつことや、不足している視点・能力などを、黒田先生や菅原先生が指摘して必死にご指導してくださったからこそ、今があると思えます。

Q

これまでのご経歴をお話しいただけますか?

卒業研究から修士課程を終えるまでの3年間、一貫して「ゾルゲル法による、液相からのセラミックス(チタン酸ストロンチウム)合成過程」を研究しました。経験則として、ある溶媒を使うとうまく合成できることが分かっていましたが、何故上手くいくのか、という原理が分かっていなかったのです。配位子や溶媒の種類、反応時間や温度等の条件を変えながら探索しました。最終的に特定するまでには至りませんでしたが、足りないと自覚していた思考力については、特に修士課程の2年間で鍛えられました。

就職活動をする頃には自分の環境問題に対する思いを、研究開発ではなく、事業や政策提言、あるいは一般に伝えていく、という方向で実現したいと考えるようになりました。日本総合研究所にご縁をいただき就職しましたが、入社当初は金融システムを扱う部署に配属され、システムエンジニアとして奮闘する日々でした。環境問題を扱う仕事がしたいという意思表示を続けていたこともあり、2年後、社内留学制度を利用してコンサルティング部署に異動しました。公共から民間コンサルティングまで様々な業務を扱っており、小さな案件は各々のスキルと人脈をもって獲得し進めると同時に、大きな案件はリーダーがメンバー構成も含めて参加交渉しチームで動く、という部署でした。その中にあって入社3年目の自分に何ができるかと考えていたところ、環境だけに制限せず、広く科学技術を切り口に各国の政策を調査する業務をやってみては、というアドバイスを先輩から頂き、プロジェクトに加えていただいたのです。さらに2002年にSARSが流行した際に、中国や韓国などアジアの科学技術政策の調査を担当することになりました。その後、科学技術振興機構(JST)が研究開発戦略センター(CRDS)内に中国総合研究センターを立ち上げる際に、アジアの科学技術政策に関する知見を買っていただき、出向という形でお手伝いすることになりました。途中で中途半端な立場では集中できないと思いCRDSに完全に籍を移しましたが、一貫してアジアの科学技術政策調査を続けています。CRDSはアクセスできる役所の方々や有識者のレベルが民間企業である日本総研とは異なりますので、その知見を活かした報告書を作成できることが大きなアドバンテージであり、義務だと感じています。

Q

それらのご経験を経て、現在取り組まれていらっしゃるお仕事を教えてください。

2014年4月からは、日本における次世代のモノづくりを、どう元気にしたら良いかを考えるプロジェクトのリーダーを務めさせていただいており、中間報告書「次世代ものづくり~基盤技術とプラットフォームの統合化戦略~」をまとめ終えたところです。この関係で、日刊工業新聞でも「モノづくりのパラダイムシフト」というタイトルで全14回の連載記事を執筆させていただきました。近年は新興国においても独自にモノづくりができるようになってきており、疲弊する一方の価格競争からどう抜け出すのか、という点について2つの方向性を打ち出しています。1つは例えばIntelのCPUのように、知財を戦略的におさえて、複数業界が共存共栄できる「技術のエコシステム」において優位性を発揮すること、2つ目はGoogleやAmazonのように、ソフトウェアやシステムのプラットフォームをつくり浸透させることです。日本ではこれまで部分最適を得意としていましたが、より広範に技術・サービスを包含するプラットフォームを整えるところから、構想を練り戦略を打ち出していく必要があると考えています。2007年にCRDSが主催したワークショップにおいて、Googleは既に彼らとしてのエネルギーシステムを描いていました。車も家もGoogleがつくるシステムにおいては電池である、というものです。この考えのもとに、Googleは着々とプラットフォームを整えてきました。今となっては恐らく多くの方が、その構想が現実になりつつあることに頷かれることでしょう。衝撃を受けると共に焦りを覚え、その「モヤモヤ」を今、プロジェクトの中で少しでも提案・提言として形にしていきたいと思っています。読んだ方々が「こうすれば良いのか」と思えるところまで、深く切り込んだ最終報告書をまとめたい。やればやるほど、さらなる難問の山が見えてくる状況ですが、多くの方々との議論を通して少しずつ前進していると実感しています。

Q

早稲田の良さはどのようなところでしょうか。最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。

入学式のときに、小山宙丸総長(当時)から「大きな組織で頑張るのも勿論重要であるが、自分がリードできると思う分野や立場を作って頑張る人材になるのも早稲田らしい」というようなお言葉を頂き、早稲田らしさというものが腑に落ちた記憶があります。モノづくりのパラダイムシフト、イノベーションは大きな組織・足腰が重いところでは起こりづらいでしょうから、小山先生がおっしゃっていた「早稲田らしさ」を発揮すべき時代がきているのかもしれません。そのような早稲田生として社会に出る前の途中段階、卒業研究や修士研究、博士研究などの研究生活においては、仲間と苦楽を共にするという、何事にも代えがたい濃い経験を得られます。自分で答えを見つけて行く姿勢、問題意識を持つ姿勢も身に付けることができますし、これは、社会に出て本質的に求められる力ですから、思い切り飛び込んでほしいですね。また、社会に出るとき、あるいは出たあとも、高い目標を持ち続けることが大切だと思います。すぐには叶わないような、無謀とも思えるぐらい遠い目標でも良い。もちろん、大きな目標だけでは空回りしてしまいますから、日々の小さな目標を設定してバランス良く歩んでいくことも意識しておく必要はあります。ですが、社会生活を送っていると、本当に重要な2択を迫られるタイミングが必ずやってきます。大きな目標を判断の軸にすることで、自分にとって正しい方を選びとることができます。私の例でいえば、CRDSに出向するかどうか、日本総研をやめるかどうか、自分の手に余ると思う無謀な仕事を振られたときに「YES」と答えるかどうか、といったシーンでしょうか。その選択肢がチャンスなのか否かを判断することができるのです。

後輩の皆さんとも一緒に、日本を元気にしていきたいですね。その後、環境問題の解決も含む、サスティナブルな社会の実現について考える機会を得ることができれば、私としてはラッキーだな、と思っています。

Q

ありがとうございました。

聞き手・構成

武末出美(早稲田大学アカデミックソリューション)

※所属はインタビュー当時のものです。

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