中井 浩巳 早稲田大学先進理工学部・研究科に所属する教員の研究内容を紹介しています。

化学・生命化学科/化学・生命化学専攻

中井 浩巳教授

Nakai Hiromi

略歴 1992年 京都大学大学院工学研究科合成・生物化学専攻博士課程修了、博士(工学)。同年 京都大学工学部助手、1996年 早稲田大学理工学部専任講師、1998年 助教授を経て、2004年から現職。この間、2002-2003年 米国ライス大学 客員教授。
主な担当科目 学部:化学B1、物理化学A、量子化学、物理化学実験
大学院:電子状態理論特論、電子状態理論演習A-D、計算科学クラスター演習
主な著書 ・「化学のブレークスルー」(化学同人編集部編)、“理論化学における理論の革新”PP. 159–163、化学同人、2011年
・CSJカレントレビュー・シリーズ第8巻「巨大分子系の計算化学-超大型計算機時代の理論化学の新展開」(日本化学会編)、“巨大分子系の量子化学計算法”PP. 52–60、化学同人、2012年
・第7版「化学便覧~応用化学編」(日本化学会編)、“10.2.1量子化学計算”PP. 1013–1017、丸善、2014年
1926年にシュレディンガー(Schrödinger)方程式が発表されて以来、コンピュータの誕生、さらにその飛躍的な性能向上とともに発展してきた量子化学。理論化学のうちで最も基礎的かつ信頼性の高い手法として、化学の根幹にある分子や原子の電子状態をシミュレーションによって明らかにしてきました。電子状態は複雑なため、Schrödinger方程式を直接適用すると、計算量が膨大になります。適切な近似を導入することで、最近では数万原子からなる系も取り扱えるようになりました。量子化学計算の高精度化と高効率化、双方を実現するための、新しい理論や計算手法の開発に挑戦しているのが、化学・生命化学科の中井浩巳教授です。

化学における理論研究

化学は、物質の構成単位である原子・分子の観点から現象解明、物質創成、機能発現を追究する学問です。また、その多様性ゆえに理論先導での研究は難しく、多くの研究成果は実験主導によるものでした。しかし、理論研究は、ミクロの世界において極めて短い時間に起こる現象をつぶさに「観る」ことができるという特長を有しています。今日では、計算の高精度化と高効率化により、量子化学は有力な研究手段としての地位を築きつつあります。

使える量子化学計算の実現を目指して

私が研究を始めた1980年代には、量子化学は、一体近似からはじまり電子相関の効果を段階的に取り込める手法にまで発展していました。博士課程の指導教授は、励起状態を高精度に取り扱えるSAC-CI法を世界に先駆けて提案した中辻博先生(現量子化学研究協会理事長、京都大学名誉教授)で、私自身、SAC-CI法を用いた様々な応用研究に携わることができました。一方で、理論開発の観点からは、「次に何を研究すべきか?」が見つけにくく、ある種の停滞感さえ覚えたことを記憶しています。1996年に早稲田大学に赴任してからは、様々な理論開発に積極的に取り組んできました。量子化学計算の前提とされていたBorn-Oppenheimer(BO)近似に基づかないnon-BO理論、量子化学計算から求められるエネルギーを空間や原子などに分割し、局所的なエネルギーの変化から現象を理解するエネルギー密度解析(EDA)、通常の密度汎関数理論(DFT)の欠点であった内殻励起や分散力を正しく記述できる汎関数、などです。なかでも世界的に注目度が高い研究として、量子化学計算の精度を落とさずに計算時間を短縮する分割統治(DC)法の開発が挙げられます。今日のコンピュータの演算速度は、1年で約2倍、10年で約1,000倍(≈ 210)になっています。しかし、量子化学計算は取り扱う系の大きさ(たとえば原子数)に対して、≥N4で計算時間が増加します。したがって、たとえ演算速度が10年後に1,000倍になったとしても、取り扱える系の大きさはあまり変わらないのです。

図 計算手法の精度と時間の関係

一方、私の研究室で開発したDC法は線形スケーリング法の一種で、計算時間を系の大きさに対して1次(線形)にまで削減することができます。つまり、演算速度が1,000倍になれば、取り扱える系も1,000倍の大きさになるわけです。まさに使える量子化学計算が現実のものとなってきました。

元素戦略プロジェクト

周期表には100余りの元素があり、今日ではさまざまな先端技術に活用され、豊かな社会が形成されています。たとえば、携帯電話などに使用されているリチウムイオン電池では、もちろんリチウムが重要な役割を果たします。自動車の排気ガスを浄化する触媒には、プラチナ、パラジウム、ロジウムという金属が不可欠です。しかし、特定の元素の機能に頼っている今日の先端技術は、資源の枯渇によりその基盤が根底から覆されかねません。また、資源の偏在も天然資源に恵まれない我が国にとっては大きな問題です。この元素資源問題をサイエンスで解決するために、2004年に開かれた「夢の材料の実現へ」というワークショップで「元素戦略」という概念が示されました。その後、「元素戦略」の4つの目標(4R; Replace(代替)、Reduce(減量)、Recycle(循環)、Restriction(規制))を達成すべく科学技術政策が展開されています。では、この元素戦略プロジェクトに対して、今日の量子化学計算は本当に使えるのでしょうか。実は、大きな落とし穴がありました。従来の量子化学計算が基礎とするSchrödinger方程式では、相対論効果が考慮されていません。元素戦略プロジェクトでは周期表のすべての元素を対象とします。当然、重元素も含まれています。重元素では、内殻電子が光速に近づくことにより、相対論効果が無視できなくなります。そしてその効果は、内殻電子に留まらず、化学にとって重要な価電子にまで影響を及ぼすのです。金が金色であったり、鉛が軟らかいのも、水銀が液体であるのもすべて相対論効果によるものです。つまり、元素戦略プロジェクトを理論的に推進するには相対論的量子化学計算へのパラダイムシフトが不可欠です。そこで、このような考えのもと力量のある理論化学者を結集して立ち上げた研究が、CREST「元素戦略を基軸とする物質・材料の革新的機能の創出」研究領域に採択された「相対論的電子論が拓く革新的機能材料設計」です。CREST研究も3年目に入り、パラダイムシフトに向けた研究成果が少しずつ出てきました。

写真 量子化学計算に使用しているサーバ(7ノード/528コア、メモリ512GB)。CREST研究に必要なプログラム開発はこの並列コンピュータを用いて行っている。

量子化学との出会い

私が初めから量子化学分野の研究者を目指していたかというと、そうではありません。高校生の頃は物理が好きで、大学入試では化学と物理の境界領域であると言われる化学工学を選びました。大学において化学工学を学んでいくうちに、「現象を利用する学問よりも、原理を追求したい」という思いが強くなり、大学院では専攻を変更して量子化学の道に進みました。もともとプログラミングにも興味がありましたので、シミュレーションと学問とが直結する量子化学にのめり込んでいきました。博士論文では、銀の触媒作用の理論的解明を目指しました。銀は、エチレン(C2H4)を完全酸化(2CO2+2H2O)させずに、部分酸化することで工業的に価値の高いエチレンオキサイド(C2H4O)を合成できる唯一の触媒です。その謎を解き明かそうと挑戦しましたが、やはり当時の量子化学計算では、数個の銀原子からなるクラスターを表面モデルとして用いるのが限界でした。振り返れば、このころに感じた限界や停滞感が、「使える」量子化学計算の開発を目指す動機になったのかもしれません。一方で、今日注目を集めているナノ微粒子触媒については、博士論文の研究と直結しており、ある意味では、先駆的な研究をしていたと言えるかもしれません。

Waseda School(早稲田学派)の確立を目指して

早稲田大学に赴任して間もなく20年になります。31歳の若輩に独立した研究室を持たせていただき、自由な発想で研究を進めさせていただいたこと、大変感謝しております。私は早稲田大学出身ではありませんが、早稲田大学を愛する気持ちは卒業生にも負けないと自負しています。そして、研究室運営で一貫して掲げてきた目標があります。それは、量子化学分野におけるWaseda School(早稲田学派)を築き上げ、世界から注目されるSchoolにしたいということです。研究室は学問を追究するところですが、それを行っているのはやはり「人」です。研究室のメンバーには、研究室に所属しているときはもちろん、その後、それぞれの環境において活躍してもらわなければなりません。そのために研究室では、どのような困難な問題に対しても自分の道を切り拓ける活力を身に着けるよう指導しています。互いに切磋琢磨して研究を遂行する、国内外の研究者と交流するなど、研究に直接関わることから、リーダーシップをとってイベントを催すなど、ソサエティの一員としての責務まで、研究室の日常には様々なシチュエーションがあります。ひとつひとつは小さいことかもしれませんが、これら全てが活力ある人を育て、その先にWaseda Schoolの実現があると信じています。

CSJ化学フェスタ2014Open New Window セッション「使える理論・情報・計算化学」にて、事例紹介予定

研究室ホームページ

聞き手・構成

武末出美(早稲田大学アカデミックソリューション)
※所属・役職・研究内容はインタビュー当時のものです。

先進トップランナーTOPに戻る